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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2012年01月31日

「迷宮組曲」から学ぶ 最後まで見て判断する

「迷宮組曲」から学ぶ 最後まで見て判断する





「迷宮組曲」
このゲームは、ハドソンの名作ですね。
主人公「ミロン」を操作して、
さらわれた姫を救い出すために、
敵の城に乗り込んでいく、という。
マリオとかと同じで、ストーリーはよくあるところです。





ゲーム自体は、アクションゲームです。
マリオと違い、横スクロールだけではなく、
縦にもスクロールするところなどが、違いでしょうか。

また、攻撃手段も「バブル」で攻撃するという
一風変わった攻撃方法をとります。

また、はじめは連射ができませんが、
ステージ途中で敵を倒すと出てくる
「パラソル」を取ることで、連射ができるようになります。





また、謎解きやアイテム収集の要素もあり、
道中で、「炎」の中を突き進んだりする際に、
「火を防ぐためのチョッキ」を購入したり、
壁を壊すための「トンカチ」を入手したりと、
単に、最上階にいるボスのところにいけばいいだけではありません。





途中途中で、そうしたクリアに必要なポイントとなる
アイテムをきちんと入手していく必要があるのです。

そのためには、「お金」を集める必要があるのですが、
この「お金」が、敵を倒しても出ません。
各ステージで、決められた箇所の「壁」を崩すと
出てくるようになっています。





そのため、そのお金を探して集めないといけないし、
むやみやたらとお金は使えません。
同じアイテムでも、高く売っているところや
安く売っているところがあるので、
そうしたことも合わせて、効率よく買っていく必要があります。

それでも、ゲーム自体のテンポのよさ、
秀逸な音楽、心地よい難易度・・・ではなく、
ちょっと難しめではありますが、
それがかえって「迷宮」に挑む気持ちをもたせてくれています。





さて、このゲームがなんで「組曲」なのか。
実は、ステージごとにある「♪」(がっきのはこ)を
見つけて、それを取ると「ボーナスステージ」に行けまして。
で、そのボーナスステージが、
「♪」を取得することで、そのとった数に応じて
最後にボーナスとしてお金がもらえる仕組みになっています。





で、それがはじめはたんにドラムだけ叩いているだけで、
他のメンバーはなーんにもしていないのですが、

「がっきのはこ」を集めるたびに
だんだんと楽器の数が増えていき、
最後はオーケストラになるのですが、
これが最後のほうはすっごく感動するんです!!!





とりあえず、序盤の三つくらいの場所だけ、
こうして見せてみますが、
これを集める、どこにあるか探すのが、
このゲームの醍醐味だったりするので、
ぜひみなさんも探してみてくださいませ。


さて、そんな「迷宮組曲」
名作だ、と言われつつも、クリアできないで
嘆いていたみなさんもおおくいらっしゃると思います。
その一つの理由が、「井戸の中」
これが難しくてどうにもならない、という人
結構いると思うんですよね。

かくいう私も、小学生の時分、なんどやっても、
この井戸の中でゲームオーバーを繰り返していたものです。


で、一時は「クリアなんかできないよ!!」
と嘆いたものですが、
本当に、もう徹夜で徹底的にやりこんで、
クリアした時には本当にうれしかったものです。


さて、そんな「迷宮組曲」から学んだこと、
それは「評価は最後までやってみてから判断する」ということ。





ボーナスステージとなる「がっきのはこ」
これ、クリアした当時としても、
「単なるボーナスステージ」としてしか思っていませんでした。

ところが、あらためて何度かプレイしてみた時に、
「あれっ、もしかしてちょっとずつ音楽が増えている!?」
ということに気がつくわけです。
ベースだ!!シンバルだ!!と。

そして、最後まで集めきった時の感動!!


もともと、このゲーム自体、難しいということもあり、
「おもしろいんだけど、クリアできないんじゃしょうがないよね」
くらいなことを言っていました。

でも、あらためて、こうしてクリアできるようになって
再度このゲームのことを評価したら
「超名作!!」
と評価できるわけです。





そう、物事の評価というのは、
単純に自分ができる範囲、知っている範囲だけで、
決めていいものじゃないんですよね。

あとになってから、
「ああっ、そうだったのか」
と気がつくことってのは多々あるわけで。

その時に「あれはたいしたことない」
とか言ってしまっていると、
あとから手を付けづらくなるんですよね。

そう、物事を評価するなんてのは、
「あとから」でもいくらでもできる。

すぐに評価を下すのではなく、保留しておき、
最後までやりきってから、評価すればいい。

そのことを学べたのは、
このゲームのおかげです。

ということで、
「迷宮組曲」から学ぶ 「最後まで見て判断する」でした。

ちなみに、おまけということで、
クリアできないで嘆いていたみなさまに。
全部の楽器を集めた上でのクリア動画があります。

もちろん、超絶プレイなので、
普通の人は、ハチの巣やパワーアップしたりをしながら、
着実にプレイするようにしてみてくださいませ。

「迷宮組曲 全楽器の箱収集済みクリア」
  


Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月30日

「スーパーマリオブラザーズ」から学ぶ苦難を乗り越えるよろこび

「スーパーマリオブラザーズ」から学ぶ 苦難を乗り越えるよろこび





てなわけで、超名作ゲーム、ついに登場!!
ファミコン、と言えばこのゲーム、というくらいに
国民的、いや世界的ゲームと言えます。

「スーパーマリオブラザーズ」

説明の必要はない
というくらいのゲームだと思いますが、
まあ簡単に説明を。

主人公「マリオ」を操作して、
大魔王クッパにさらわれた「ピーチ姫」を助けに行く
というゲームです。

マリオの操作は、十字キーの左右で移動。下でしゃがむ。
Aボタンでジャンプ。Bボタンでダッシュ。
勢いをつけてジャンプすることで、
ジャンプ力があがります。

「Bダッシュ」と言えば、日本国民すべてに通じる
であろう言葉ですね。





基本的には、右側にスクロールしていくタイプの、
アクションゲームであり、
各ステージにある城を解放することでクリアになります。
その際には、占領のあかしとして、
敵の「旗」を下げて、代わりに自分たちの旗を立てることになります。



敵の上にのっかると、ふんずけることができて、
すぐにつぶれる敵もいれば、
ふんずけても甲羅に隠れる敵もいて。
ふんづけられない敵もいて。

また、マリオはパワーアップもします。
キノコを食べると「スーパーマリオ」になり、巨大化。
一回はやられても、ただのマリオに戻るだけで、ミスしなくなります。
また、ブロックを下から叩いた際には、
ただのマリオでは、ブロックがゆらぐだけですが、
巨大化したあとは、破壊することができます。

また、隠れたステージやアイテムもけっこうあり、
特定の土管の中には入ることができて、
パワーアップアイテムや、コインが大量にあったりします。





特定のステージでは、
単に右側に進めばクリアできるわけではなく、
土管での移動を通じて、特殊なルートを通らなきゃいけなかったり、
無限ループするため、特定の通路を通らないといけなかったりと、
やってみると奥深い面が多々あるわけです。





さて、そんなスーパーマリオから何を学べるのか。
たくさんありますが、今回のテーマは、
「苦難を乗り越えるよろこび」です。

スーパーマリオをやった人ならわかると思いますが、
「難しい」と言われるワールドをクリアした時の
よろこびや、みんなから賞賛って、最高ですよね♪

簡単に言うと、
「1-1」をクリアしてもあまりほめられませんが、
「4-4」とか、「5-3」などのステージを
クリアできると、まわりから「おおっ!!」と言われたものです。





よく、子供たちを相手に
「苦労は買ってでもしろ」とか
そうしたことを言葉で伝えようとしていますが、
実は子供自身も、そんなことは言われなくてもわかってるんですよね。

スーパーマリオをプレイしている姿を見ても、
1-1などをクリアしてもよろこばないけれど、
難しいステージをクリアした時にはよろこぶわけで。
しかも、繰り返して挑戦して、クリアをしている。

で、「なにがおもしろいのか」を聴けば、
「難しいところを何度も挑戦してできるようになったから」
とよろこんで話をする。

子供に限らず、大人もそうだけれども、
本来はそうした「難しいことに挑戦し、
それを乗り越えた時のよろこびと楽しみ」
というのは、ものすごく大きく、またそれを知っているハズ。

だけど、大人になると「難しいことに挑戦」することを
「かっこわるい」とか、「効率が悪い」とか言ってみたり、
いろいろと言い訳をしてやらなくなっていないだろうか。

そのくせ、子供たちには
「若い頃の苦労は、買ってでもしろ」とか言って、
「やらせよう」とだけはしたりする。

でも、本当に大切なことは、実は「知ってる」し
「わかってる」んですよね。

そのことを、再度確認できるという意味で、

「スーパーマリオ」から「苦難を乗り越えるよろこび」
を再確認できるなと、そう感じるわけです。





ぜひ、昔を思い出しながら、そして楽しみながら、
やってみてくださいませ。

  


Posted by くみちょう at 14:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月28日

「ギャラガ」から学ぶ 準備することの大切さ

「ギャラガ」から学ぶ 準備することの大切さ





「ギャラガ」と言えば、「ナムコ」の
名作シューティングゲームなわけです。

インベーダーゲームの系統の中では、
もっとも進化した先にあるのがこのゲームではないのか。
そんなことを感じるわけですが。

「ギャラクシアン」
という、ナムコの先に出たインベーダー系に続き、
このゲームも「効果音」から何から超名作でして。

特に、「ギャラガ」の特異点といえば、
「敵のボス」に「キャプチャー」(連れ去られた)味方を
助けることで合体し「デュエル」となり、
攻撃が二倍になるというところ。





いままでの攻撃と違って、
横幅が出てくるため、非常に敵を倒しやすくなります。

特に、このインベーダー系のシューティングでは、
敵が動き回るために、「当たらない」というのがネックでして。
それが、時機が二倍になることで、非常にあてやすくなります。


さて、そのギャラガから学んだこととは何か。

それは「序盤」でいかに「デュエル」にしておけるか、ということ。

後半になればなるほど、敵の攻撃は激しくなっていきます。

となると、さっきいった「デュエル」になるためには、
一度わざと敵に捕まった上で、それを助けないといけない。
だけど、それがものすごく難しくなるわけです。

なので、そうした攻撃が激しくなる前に、
いかに序盤で「デュエル」にしておけるかが鍵になります。





また、プレイしていると「敵の攻撃が避けられない」
ということが多々おこってきます。

それは、すべて画面端に追い詰められた時。

もう避けようがないところで、攻撃をくらうのです。
それも、上記「デュエル」になることで、
自分の大きさも倍になるため、余計に攻撃をくらいやすくなる。

で、そこでも「準備」が大切なんですよね。
常に、敵の攻撃が来た時に「どっちに避けるのか」
ということを事前に考えて準備しておく。

そして、「端」に追い詰められることがないように、
常に「画面中央」に移動できるように、準備しておく。
それを意識することができると、飛躍的にプレイがうまくなります。





これも、現実において非常に大切なことですよね。
「事前に準備する」
しかもそれは、「余裕」がある時にこそ、備えをしておく。

だけど、ついつい「余裕」な時はそのまま放置しておいて、
「タイヘン」になってから「どうしよう」と焦る。
そして失敗する、ということが多い。

そうじゃないんですよね。
ギャラガでプレイしていた通り、
「余裕のあるうちに準備」をしておく。
「追い詰められる」前にどうするかを決めておく。

その大切さを、ギャラガを通じて学ぶことができました。





ということで、「ギャラガ」から学ぶ
「準備することの大切さ」でした。

これ、本当に大切なことだと思います。
意識しておきたいですよね。  


Posted by くみちょう at 18:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月27日

「キャッスルエクセレント」から学ぶ 記録していくことの大切さ

「キャッスルエクセレント」から学ぶ 記録していくことの大切さ





ちょっとマイナーなゲームになるかもしれません。
が、私の中では非常に記憶に残るゲームなのです。

なぜって?
「全力を尽くした」にも関わらず
クリアできなかったから(T0T)





このゲームは、「アスキー」のゲームなのですが、
「アスキー」と言えば「ターボファイル」
「ターボファイル」と言えば「セーブ」なわけで。

当時、セーブすることを前提でつくられているゲームを
セーブしないでクリアするとなると・・・

「お察しします」

てなことになるわけです(^^;)

でも、そんなのなくてもクリアしてきたのが
私たちゲーマーなわけで。

「よっしゃ!!!やってやるぜ!!!」

と息巻いて毎日のようにやりつづけましたが・・・

ダメでした(T0T)

「セーブする」ことが必要ということは、
相当な長時間ゲームし続ける必要がある、
ということ。。。なだけなら
別に「何日もつけっぱなしにして、クリアした」
ことがあるわけで、問題はありません。

が、そうじゃないんですよね。

何が大変かというと、
「攻略の順番やルート」なんです。

はっきり言ってしまうと、
「鍵の開け方」によって攻略不可になってしまうということ。


このゲーム、「キャッスル」とついている通り、
「城」の中を探索していくゲームなのですが、
その途中途中で、鍵のかかった扉がたくさんあります。

それぞれ「色」で分けられていて、
「赤い鍵」で「赤い扉」「青」「紺」「黄」「緑」「ピンク」・・・
とあり、それぞれ対応した鍵でしか開けられません。

となってくると、当然重要になるのが「鍵」なんです。

で、ここで普通のゲームであれば、
鍵は「扉の数だけ」用意されていて、
かたっぱしからいけるところ全部いけば済むのですが、

この「キャッスルエクセレント」はそうはいきません。

鍵の数は少なくて、「使いどころ」を間違えると
あっという間に「詰む」んですよね。

たとえば、この初っ端のこの黄色い鍵。



これで右の画面に行けますが、扉は三つあります。

さて、あなたはどこの扉を開けますか?


はじめ、プレイしていたらこれはもう「運」以外の
何物でもありません。ひとまず開けて行ってみる。

で、あけた先を見てみます。




一番下。実はこれが正解。

真ん中とつながっていて、一見同じに見えますが、
真ん中から入ってくると、途中の障害物が邪魔で、
下にいけません。つまり青い鍵が手に入らない。

下から入ると、青い鍵を取った上で、真ん中にまわって黄色い鍵も回収できます。

で、調子にのって扉を開けて出たりしないように注意です。
ここで、ようやく一個「黄色い鍵」のストックを手に入れたわけです。

こうして、ひたすらに鍵を節約しながら先に進んでいくんです。

・・・となると、このゲームをプレイするためには
「試行錯誤」しかない、ということがわかります。

今のようにオンラインで攻略サイトがあるわけではない。

かといって、「ターボファイル」を持っていないので、
「セーブして試して、ダメならロード」ということもできない。

となれば、「マップを記録していく」以外に方法はないんですよね。

ということで、当時ひたすらにメモを取りながらプレイしたものです。

でも、ついついそれがめんどくさくなって、
気がつけば「覚えているからいいや」になり、
でもふとした時にやり直して「あっ、忘れた」となるわけです。



そう、このゲームの肝、それは「記録」するということ。

いまは、バーチャルコンソールなどで
セーブしながらプレイもできると思いますので、
ふたたびやるのもおもしろいと思いますし、

携帯で写真撮るなり、記録の仕方も
手書き以外で楽にもなったので、
いまこそ、プレイしてみる価値のあるゲームだと、そう思います。


で、現実においても、「記録」をとっておくことの重要性というものは、
みなさん実感されているのではないでしょうか。
人に説明をする、とかはもちろんのこと、
自分自身でも忘れて困ることは多々あるわけで。

そうした際に、記録しておくことで、続きをプレイできる。

特に、この「キャッスルエクセレント」のように
長時間プレイを必要とするゲームであればなおさら。

現実でいえば、長期計画のもとに実行する仕事など、
どうしたって忘れる可能性があることに関して
きちんと記録をとっていくことが必要になるのです。


ゲーム自体は、謎解きアドベンチャー。
個人的には、傑作の部類、隠れた名作だと思っています。

もし「我こそは!!」と思うゲーマーさんがいらっしゃいましたら、
いまからでもプレイしてみることをオススメいたします。

おもしろいですよ。





ということで、「キャッスルエクセレント」から学ぶ
「記録していくことの大切さ」でした。


このゲームも、いまだからこそ
クリアしてみようと思うゲームですね。
次、時間がつくれたらクリアしようっと。

PS.当時「腹立つ」ほどに何度となくプレイしたため、
ある程度は覚えているんですね。
頭の中に、きちんと「記録」されているみたいです(^^)  


Posted by くみちょう at 16:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月26日

「エキサイトバイク」から学ぶ 全力を出しどころを知る

「エキサイトバイク」から学ぶ 全力を出しどころを知る





任天堂の初期の名作「エキサイトバイク」

もう、みなさんやりまくりましたよね♪





オーバーヒートもしまくりましたよね。

ゴロゴロと転がった挙句に、
なんであんな遠くまで吹っ飛ばされるのかが
納得いかないと、文句をつけたりしましたよね?(笑)






さて、ゲームとしてはレースゲームです。
レースゲームと言えば、
「F1レース」や「ジッピーレース」など
通常画面を正面に見て、
バイクにまたがっている、
または車を運転している、というタイプの
ゲームが多いわけですが、
このゲームは横スクロールなんですよね。

当時の自分にとって、それがまた新鮮で楽しかったんですよね。


で、このエキサイトバイクが、
またほんのちょっとの工夫なのに、
その操作がおもしろいわけですよね。

ただスピードを調整したり、
4つあるレーンのどこを走るのかを
選ぶだけかと思っていましたが、
左右を押すと、さりげなく「前かがみ」になったり、
「ウイリー」したりするのを発見するわけです。





だけど、当初はちょっと「ウイリー」できる程度
だと思ってましたが、
障害物を乗り越える際のジャンプの軌道が違うのに気がつき、
着地の際に前かがみになることで、
着地後の挙動の制御がしやすくなったりするんですよね。

で、そのことに気がつくと、
それまでと違ってものすごくタイムがあがるわけです。





「しめしめ。これで全クリできるな」

くらいに思ってましたが・・・

実はそれだけじゃ結果がよくならないんですよね。
で、ここで、このゲームの肝となる部分。

このゲームで学んだ部分に入ってくるわけですが。

Aボタンだと、通常のアクセルで、
スピードは遅いけれども、普通に走り続けることができる。
Bボタンだと、早く走れるんだけど、
水温計が上がっていき、限度まで行くと
オーバーヒートするんですよね。


で、これまた当初は、
とにかく「B」ボタンで走り、オーバーヒート直前になったら
「A」ボタンに戻して、という使い方だったんですが・・・

それでは、いつまでたっても「記録」は伸びない。

ここがポイント。
エキサイトバイクでの記録を出すためには、
「ここだ!!」というポイントで「B」ボタンを使わないといけない。

特に、ジャンプ台の手前や、
障害物をまとめて飛び越えるなど、
そのタイミング次第で飛び方が全く変わるんですよね。

それで、タイムがぜんぜん違うものになる。





そう、いくら早いとはいっても、
「B」ボタンをやたらめったら使えばいいというわけではなく、
「出すべきタイミング」でこそ、
「B」ボタンを使う必要があるわけです。


逆に、あえて「A」ボタンで、
普通に走っていくほうが
障害の間隔の都合上、よいことも多いわけです。

その場の状況に合わせて、
出しどころを調整することが求められます。





これ、エキサイトバイクに限らず、
現実においてもまさしく、なんですよね。

「常に全力」で走っていたらオーバーヒートする。
調整するにしても、「出しどころ」を考える必要がある。

勉強にしても、仕事にしても、
「全力」の出しどころを知った上で、
調整しながらやることが大切なんですよね。


ということで、
「エキサイトバイク」から学ぶ
「全力を出しどころを知る」でした。
  


Posted by くみちょう at 23:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月25日

「信長の野望 戦国群雄伝」から学ぶ 資源集中の大切さ

「信長の野望 戦国群雄伝」から学ぶ 「資源集中の大切さ」





「信長の野望 戦国群雄伝」
シリーズ通して、大好きなゲームの一つ。

えっ、なんで初代である「全国版」じゃないの?
と言われたら、私は「全国版」を買わなかったので・・・
というか、当時は光栄のシリーズは
欲しかったけど高くて買えなかったんです(T0T)
他のゲームが3800円、4800円の時代に、
9800円でしたしね(^^;)


とは言っても、初代「三国志」を買ってから、
ドツボにはまって、買おう買おうとしておりまして・・・
戦国群雄伝は、まだ「中古ショップ」などない時代に、
たまたま行った先の「おもちゃ屋」さんで
安売りしていたのを発見して、喜び勇んで購入したものでした。


まあ、そんな戦国群雄伝。
もちろん、はじめは「信長」を選んでプレイするわけです。





まあ、三国志で感覚をつかんでいた私としては、
「まずは内政でしょ」
と言いながら、全員で内政を行いました。
で、金を使い果たしたところで、
「あとは訓練だね」と、兵士を訓練して終了。

・・・「徳川家康」が攻めてきました!!

「おっ、いきなりか。でも守り切れるさ。」





「織田軍のそうだいしょうはしきをとれなかった」


・・・「はっ!?何それ?」

いきなり滅ぼされて終了ー(T0T)

なんじゃそりゃー!!!
と思って、説明書・・・が中古で買ったので付いてなかった(^^;

どうすりゃいいんだー!!

いまなら、間違いなくネットで調べれば済むところですが、
当時はそんなものはないわけで。

急ぎ、町中の本屋をめぐり、攻略本を探します。。。





「あった!!!」
見つけて即購入し、熟読。すると・・・

「城主は、何があっても行動力40以上を保て!!」
敵が攻め込んできた際に応戦するためには
「行動力40」が必要となる。
それがないと、応戦するまでもなく敗北するので、
何があっても「城主」の行動力が保つようにしよう。


・・・そんなの知らなかったよー!!!(T0T)

てなわけで、そこからは「行動力」なるものに
注意しながらゲームを進めるわけです。

ちなみに、この「戦国群雄伝」の一番の特徴は、
この「行動力」になります。



逆にいうと、行動力さえあれば、なんどでも行動できるわけで。

その行動力は「政治力」によって回復量が決まってくる。
そのため、どんな能力よりも、「政治力」が大切なのが、
この「戦国群雄伝」なのです。





さて、そんな「戦国群雄伝」ですが、
とりあえず、行動力を理解した後は、適当にプレイをします。
「やりながら覚える派」の私は、
上記のように、大問題が起こらない限りは原則
「説明書」など読まずにプレイし続けるわけで。

で、ひとまず戦争も体験したいと思うわけで。
信長の隣国と言えば・・・

三河の徳川家康
美濃の斎藤義竜
伊勢の北畠具教

・・・まあ、いきなり徳川は敷居が高いよね。
まずは弱そうなところから手を出してみるか。

てなわけで、北畠に手を出すわけで。
で、攻めてみました。





「まあ、信長軍はさすがな武将たち」なわけですよ。
対して、当時あまり戦国に詳しくなかった私としては、
北畠なんて、たいしたことないだろうなとか思っていたら・・・





「けっこう強いんじゃないの?」(^^;)

あとになってわかりましたが、
剣豪だったとのことで、塚原卜伝から、奥義を授かるほどだったとか。
そりゃ強いわな。





とはいうものの、戦闘75
信長はもちろんのこと、
秀吉や柴田勝家なら勝てると思って勝負を挑むわけですが・・・





あれっ、さくっとやられるんだけど・・・

いい勝負できるのが「信長」だけって・・・
どういうこと?

と思って、今度は試行錯誤。

訓練度が違うんじゃないのか
兵種(騎馬・鉄砲・足軽)の相性なんじゃないのか
などなど、いろいろと試してみるわけですが。

・・・で、2プレイなどにして、
わざわざ条件同じにしたり、変えてみたりしながら
検証を続けてみた中で、気がつきました。

「兵士数だ!!!」

そう、強さによって兵士が1対1で減るのではなく、
兵士数が大きく違うと、それだけで戦闘力に関係なく圧倒されるのです。
※その後、調べてみて、戦闘力も大きく関係しておりました

そう。それまでの自分は、
着実に内政をして、着実に兵力を増やし、
それもみんなに平等に兵力を分け与えていたのです。

が、それではいつまでたっても戦いに勝てなかったんですよね。
上記の通り、「兵力を集中」しなくちゃ勝てない。

逆に言えば、少ない兵力でも、集中さえすれば早々負けることはない。





何よりも「再編成」して、分散している兵力を集中させること。
それがこのゲームの肝でした。
それが理解できてからは、全国統一するまで、
そんなに時間はかかりませんでした。


さて、そんな「兵力集中の大切さ」

現実世界において、というよりは、
「経営の世界」においては、よく言われることです。
自分の持っている経営資源を、
集中しないで分散するとあっという間にやられてしまう。

もちろん、分散するだけの余力がある大企業は違いますが、
そうではない場合、というかたいていは
「集中」しなくちゃ話にならない。

で、それって「兵力」だけなの?





違います。人材も、金も米も。
自分が持っている資源はすべて「集中」してこそ価値を生む。

持っている資源を集中すればするほど、
そこから多くの価値が生み出されて、
その多く生まれた価値が、またより一層の価値を生む。

そのことに気がつくことができました。

これって、別に経営に限ったことじゃないんですよね。
自分自身の生き方一つとってみても、
人間関係一つとってみても、
集中しないことには何も生み出せないし、その次が生まれてこない。

というよりは、その次を生み出す前に、
ジリ貧になって、崩壊していく。

戦国群雄伝をプレイしていて、そんな経験を
何度となく味わいました。


「集中すること」

それを学べることができたこと、
そして、こうしてプレイしなおすことでそれを学びなおせる
このゲームで学んだことは、本当に生きる上で
大切なことだと思います。


ということで、
「信長の野望 戦国群雄伝」から学ぶ 「資源集中の大切さ」でした。  


Posted by くみちょう at 23:30Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月24日

「ドンキーコングJr」から学ぶ 基本を大切にすること

「ドンキーコングJr」から学ぶ 基本を大切にすること





はい。ゲームウォッチ時代からのゲーム好きにとっては、
「ドンキーコングJr」と言えば思い出のゲームだと思います。

そして、新しめのゲーマーのみなさんにとっては、
「スーファミ」のドンキーがおそらく浮かぶんでしょうけども。

私にとっては、前者が浮かんでくるわけです。





「ドンキーコング」では、マリオがドンキーコングを
倒していたわけですが。
この「Jr」では、親父ドンキーを捕えたマリオが、
助けにきた「Jr」に対して攻撃をしかけてくるという。

おそらく、「マリオが悪役」という、
後にも先にもこれしかないゲームだと思います。

そんな「ドンキーコングJr」





ゲーム自体は「アクションゲーム」です。
「ドンキーコングJr」を操作して、
親父を捕えているマリオの元に行くというゲーム。

途中、「ワニ」を放って攻撃して来たり、
「鳥」や「電気」などで助けにいくのを
妨害してきます。





それをかわしたり、倒したりしながら
親父の元に行けばクリア。

最終ステージだけは、
親父が捕えられた檻の鍵をすべてはめ込むことで
クリアとなります。






操作としては、十字キーによる移動と、
ジャンプボタンのみ。

なんですが、
ツルを登ったり下りたりする時のコツとして、
「2本のツルを使って上ると早い」
「降りる時は1本の方が早い」
といったことを理解した上で操作することが大切です。





さて、そんな「ドンキーコングJr」ですが、
ホントに、大切なことを学ぶことができます。
それは「基本を大切にする」ということ。

わかりやすい操作性であるからこそ、
単純な操作でしかないからこそ、
基本的な動きを大切にして、
単調でもなんでも、焦らず着実にプレイすることが
求められるんですが・・・・





ついつい、どっかで「焦る」とか、
「もっと早くできるんじゃないか」とか、
そうした気持ちが出てくると、やられてしまう。

いかに基本が大切で、それを淡々と繰り返せるかどうか。

そんなプレイの基本に立ち戻ることを
このゲームでは教えてもらえます。


現実でも、これってものすごく大切なことで、
「基本」をしっかりと繰り返すこと。
むやみやたらに焦らずに、着実に基本をこなすこと。

その大切さ、原則に戻ること。
ふとした時に、自分が「焦って」いないだろうか。
基本からずれていないだろうか。

そうしたことを見直していきたいなと。そう思います。


ということで、
「ドンキーコングJr」から学ぶ 「基本を大切にすること」でした。



  


Posted by くみちょう at 20:30Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月23日

「グーニーズ」から学ぶ アレンジの大切さ

「グーニーズ」から学ぶ 「アレンジの大切さ」





コナミの「グーニーズ」は超名作ゲーム。

・・・って、下手すると原作の
「超名作映画」を知らない人が多かったりしますか?
もともと、スピルバーグ監督による映画がありまして。
これがまたおもしろかったんですよね♪

で、その映画の主題歌である、
シンディローパーさんの「Cyndi Lauper / The Goonies 'R' Good Enough」
これがまた名曲なんですよね。

<youtube より 貼り付けできないので、リンクを>

「Cyndi Lauper / The Goonies 'R' Good Enough」


もし映画を見たことがない人がいらっしゃいましたら、
最近はDVDで安く売っているので、ぜひご購入の上ご覧くださいませ。
損はしないと思いますので(^0^)


・・・てな、映画情報はおいといて。

ゲームのグーニーズも負けず劣らずおもしろいわけです。





主人公のマイキーを操作して、
各ステージにて、仲間を助け出し、鍵を3つ集めてクリアしていく、という。

それが、アクションゲームとして
非常にいいバランスでして。

敵のネズミや、フラッテリー一家、
上から落ちてくる岩や、水。

はじめのフラッテリーの隠れ家のステージから、
洞窟の中に入っていき、
水場などを経て、
最後は「ウィリーの海賊船」というステージ構成。

途中途中に隠されている「アイテム」を入手することで、
その攻略が非常に楽になっていくのです。





たとえば、一面の一番初めにあるアイテム、
「ヘッドホン」
これを手に入れることで、フラッテリー一家の
「音」攻撃に耐性がつくようになる。


そうしたアイテムの場所や、出し方を
いろいろと工夫して探し出すところもまた、
楽しみのひとつなわけです。


そんなグーニーズ。
私が一番「すごいな」と思う理由は、
「映画」に対しての「アレンジ」です。

ゲームにするのにあたって、
「原作」のイメージを崩さないようにしつつも、
「ゲーム」として楽しめるようにするむずかしさ。

この微妙なラインを、絶妙に工夫しながらつくっているところに
「グーニーズ」のすごさがあるなと。

私のように、「映画」の「グーニーズ」が好きで
何度も見ていた人間としても、
「ゲーム」の「グーニーズ」を違和感なく楽しめる。

もちろん、ゲームと映画で違うところも多々あるわけですが、
ゲームとしてのおもしろさを追及した上で、
原作をちょうどよくアレンジしているなと。


上記の「アイテム」なんかもまさにそうなんですよね。
「フラッテリー」の攻撃方法が「歌」なんですが、
これも原作で効果的な場面で「歌」っていて、
それが恐怖というか、納得の場面で使われているんですが。
まさかそれを攻撃の某法にしている、とか。
しかもそれを防ぐための「ヘッドホン」がアイテムであったり。





最終ステージにて、アイテムとして
「宝石」が出てくるのですが、
原作をしっていると思わず「そうだよね」と
意味が分かって納得出来たり、とか。

「アンディ」を最後に助けるあたり、
えっ、でもくっつくのは「ブランド」じゃないの?
とか思うけども、原作のちょっとしたいきさつをしっていると、
まあそれもありかなと思ったりなんかして。





ということで、
原作のイメージを崩さずに、
それでいておもしろくすることができている。

何度もゲームをプレイして、
何度も映画を見ていて、

そのたびに「あー、すごいなこのアレンジは」
と思うことが増えていくのです。


他にも、映画を原作としたゲームだとか
そういったものはあるけれども、
これだけ高レベルでアレンジをしつつ、
ゲームとしてもすばらしいものにしてあるのはそうないな、と。


ついつい、原作が素晴らしいと、
それをそのまま再現しようとして失敗する、
なんてことはよくあるわけで。

単純に、映画のマネをするとしたら、
「コマンド選択式のアドベンチャー」
という形にするとか、あったと思います。

それを、「冒険」がテーマであることから、
「アクションゲーム」として冒険のハラハラドキドキ感を
出しつつ、ゲームとして成立させるこのアレンジは
やっぱりいいなあと。


で、ここから学べること。
それは「自分たちの目的にあった【アレンジ】の大切さ」

いろんなところから「マネ」をしたり、
「アイデア」をいただいてくることはできます。
でも、それに「必要なアレンジ」を加えて、
「自分たちの目的に合致させる」ことって、
意外としないんですよね。

「これはいいものだから」と言って、
そのまま利用しようとする。
でも、自分にあっていないので、効果は薄かったりするわけで。

どんなにすばらしいものだとしても、
そこに「自分に合うようにアレンジを加えて、
自分たちのものにする」という感覚を持つことはすごく大切です。

その点、このグーニーズのゲームからは、
そうした「独自のアレンジ」を加えて、
あくまで原作のよさを生かしながらも、
自分たちのオリジナリティを出しながら
よいものをつくりあげているなと。


そうした「アレンジ」の大切さを
教えてもらえています。


ということで、ぜひともみなさんも、
この良作ゲームを、ゲームとしてだけではなく、
「映画」も見た上で「アレンジ」のすばらしさについて
比較しながら楽しんでもらえたらなと思います。


以上、「グーニーズ」から学ぶ 「アレンジの大切さ」でした。





最後のエンディングも、
映画を知っているとより感動的になりますよ。


ちなみに、私は定期的にグーニーズをプレイしては、
クリアをするようにしております。  


Posted by くみちょう at 13:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月22日

「ジッピーレース」から学ぶ ガマンすることの大切さ

「ジッピーレース」から学ぶ その場はガマンすることの大切さ

ジッピーレース
アイレムが世に送り出したレースゲーム。
本当に、このゲームは小さい頃にやりまくりました。






まあ、名前の通り「レースゲーム」です。
ファミコン初期のレースゲームと言えば、
私の中では「F1レース」と「ジッピーレース」
この二本が「二大レースゲーム」という印象があります。


ちなみに、F1レースは、自分も相手も車ですが、
この「ジッピーレース」
自分は「バイク」で他の出場者たちは
みーんな「車」なんですよね。





そして、ほかのレースゲームよろしく、
みんなして自分を「妨害」してくる(^^;)

まあ、ゲームだから当たり前なんですが、
こっちはバイクだから接触したら転倒。

そして、転倒することで燃料を消費して、リスタート。
燃料が切れた段階でゲームオーバーになる、という。





ステージは、
「まちの郊外」の大通りを走るコースと、
「オフロード」コースが交互になります。





はじめは、「まちの郊外」の大通りを走る感じです。
これは、真上からレース中の様子を見る感じのレイアウトで、
ゲームを進めていきます。





で、一定の距離を走ると、
今度はよくあるレースゲームの形である、
「自分目線」に近い画面構成になり、
そこでもある程度走りきると、。
ステージの区切り、ということで
現在の順位に応じたボーナス(得点と燃料補給)
をしてもらえます。





で、子供時代の私は、
2面のオフロードを一度もクリアできたことがなくて・・・

「こんなの無理だー!!!」
と思っていました。

で、中学生くらいになって。
「たまには・・・」という感覚でやりなおしてみてから、
実はようやくコツをつかむことができて、
その先に進むことができるようになりました。



さて、その秘訣とは、いったいなんなのか。
それは、「アクセル全開」ではなく、
「ポイントポイントに応じて、アクセルの強弱をつける」ということ。

小学生時代の私は、
とにもかくにも、突き進むことだけを考えていました。

だから、「アクセルをゆるめる」
ということを知らなかった、
というよりはしなかったのです。

でも、中学生になった自分は、
「カーブでアクセルをゆるめる」
ということをするようになりました。

そうすると、その場その場では、
相手を抜くことができないため、
「順位」は上がらないですが、

接触事故やミスがなくなるため、
結果的には、先にすすめるようになったのです。


そう、「時に応じてガマンする」ということ。
実は、レースゲームにおいて、これが一番大切。

「相手を抜かす」というのが前提のレース。
だから気がつくと「相手を抜かす」ということばかりに
自分の目がいってしまい、アクセルをゆるめられなくなる。

だけど、その実は「自分との闘い」なんですよね。
自分がミスをしなければ、最後の結果は自ずと出てくるもの。


これって、まさに人生において必要なことなわけです。
世の中、嫌でもなんでも他人と比較されることが多い。
そして、気がつくとそのつもりではなかったハズが
アクセルをゆるめられなくなっている自分がいる。

その中で、見えているはずのものが見えなくなったり、
他者との順位競争ばかりで、疲れたり、
ミスばかりするようになってしまう。


でも、本当に大切なことは
「いかに自分の走りを追及するか」であって、
「ガマンすべき時にガマンすること」が必要なんだってこと。

そのことに、気がつけるわけです。

「ジッピーレース」
このゲームをどうプレイするかで、
自分の人生のコントロールも身に着けられる。


ということで、
「ジッピーレース」から学ぶ 「ガマンすることの大切さ」でした。



ちなみに、ニューヨークがクリアで、
細かいところですが、「自由の女神」がいて、
音楽も、アメリカ国家が流れます。




で、そのあと、
いままで250ccだったバイクが、
500ccとなって再スタートするわけです。





こうなると、いままで180kmが最高速度だったものが、
240kmまで出せるようになるので、
順位が大幅に上がります。

と同時に、もちろんミスする確率もあがるわけで。

そのあたりのコントロールこそ、
このゲームの肝である「ガマンすること」が学べるわけです。
最高速度が速くなったからといって、
最高速ばかり出していたらゲームにならない。

ということで、この調子でずっとやり続けるわけですね。

そこも、人生と同じかもしれません(^^)


  


Posted by くみちょう at 22:30Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月21日

「クルクルランド」から学ぶ 自分目線と当事者目線

「クルクルランド」から学ぶ 自分目線と当事者目線

もう、また渦巻に巻き込まれたじゃないか!!!

みたいな争いを常にしていた記憶があります。





本日は「クルクルランド」です。
今考えると、タイトルとゲーム内容が
まったくもってわからないわけですが。

やってみると「クルクル」の意味がわかりますね。
なぜなら、はじめがんばって操作しても
「クルクル」まわっちゃって、思った通りに進まないから(笑)

この操作性が、絶妙なところが、今回のお題になるのですが。

まあ、それはさておいて、まずはゲームの説明から。

プレイヤーは、地面に隠された「金塊」を掘り起こしていく
というゲームです。





掘り起こすには、「ただその場所を通ればいい」
こう聞くと「なんだ簡単じゃん!!」
そう思うかもしれません。

しかし、そうは問屋が卸さないわけで。


実は、よくあるゲームとちがって、
「右を押せば右に行く」「左を押せば左に行く」ではないのです。
主人公は「基本一直線」にしか進みません。
左右を押すと、それぞれ「左手」「右手」を出します。

で、手を出していると、
ゲームの画面上にある「ポール」を「つかんで」
そこを起点に「クルクルまわる」んです。

左右を押し続けている限り、つかみ続けます。

これが、はじめてプレイした人にとっては、
「操作が意味わからなくなる」原因になります。

それで、つい「クルクル」まわってしまうから
「クルクルランド」





小学生の時、そんなの理解できずに、
どれだけ「クルクル」とまわり続けたものか(笑)

だけど、一度感覚をつかむとすごくわかりやすく、
その「操作性の違い」を楽しむことができるようになります。


これ、実は大人になってものすごい学びにつながったな、と。





それは「自分目線」と「当事者目線」

コントロールするプレイヤーである「自分目線」で
「左」とか「右」と思ってボタンを操作した際に、

画面の中の主人公は、
「主人公から見て」「左手」「右手」を出すわけです。

大人になって、電話で地図の場所の説明をするとかの際に、
「左に行って」とか「右に行って」という説明をして、
「違う方向に行ってしまった」という経験はありませんか。

そうなんです。クルクルランドがまさにそれ。

画面上方向を指して、「北」とか「西」とか、
そうした「感覚」で地図を見ている人と、
「今の自分の進行方向を正面に見て」
「左」行ったり「右」行ったりするのは違うわけで。


でも、この感覚ってすごく難しいんですよね。
できる人は当たり前のようにできますが、
できない人はいつまでたっても「何?何?」となりがち。

そんな時、クルクルランドをプレイしていた感覚があると、
「あっ、電話先の人は、いま南を向いているから・・・」
といった形で「相手目線」でとらえて、説明することができる。


2次元と3次元の感覚の違いともいえると思いますが、
そうした感覚を、ゲームをプレイしながら
自然と身に着けることができたのが、
この「クルクルランド」です。


ということで、なつかしみながらもプレイ中。
あらためて、頭で考えようとすると、
やっぱりちょっと混乱したりしますが、
それを整理して、目線がどこにあるのか、
ということを考える、そのための訓練としても
非常にいいなと思います。

それを抜きにしても、非常に面白い名作ゲームですので、
ぜひみなさんもプレイしてみてくださいませ。

以上、「クルクルランド」から学ぶ 自分目線と当事者目線でした。



  


Posted by くみちょう at 20:30Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月20日

「スパイVSスパイ」から学ぶ 他にも目を向けることの大切さ

「スパイVSスパイ」から学ぶ 他にも目を向けることの大切さ

これまた名作ゲームです。
「スパイVSスパイ」
「VS」と書いておいて、「アンド」と読ませる。





このゲーム、プレイヤーは「スパイ」となって、
規定時間内に、マップのどこかに隠されている所定のアイテム
「かばん」「かぎ」「お金」「飛行機のチケット」
この4つを取得して、相手よりも早く脱出するというのが
ゲームの目的になります。





で、絵の裏側をさぐったり、
机の中をあさったり、
戸棚を動かしてみたりとかするわけですが・・・


これだけだと、単に先に見つけたもの勝ち
になってしまうわけですが、
ここに、おもしろい仕組みをつけたからこそ、
ものすごくハイレベルなかけひきになっていきます。


このゲーム、スパイということで、
「罠」をしかけることができるんですよね。
ドアを開けると「電撃」が流れる罠だとか、
「絵」を動かすと「爆発」する罠だとか、
そういった罠をしかけることで、
「相手」が探すのを妨害できるわけです。





罠にやられたプレイヤーは、
規定時間が削減されると同時に、
一定時間動けません。

その間に、自分は好きなように動けるわけです。

いまのように、インターネットを通じて、
また通信対戦などもない時代に、よくもまあ
これだけのすばらしい「対戦のしくみ」をつくったなと。


キャラクターも、単純明快。
一目で「スパイ」とわかるこのキャラクター
ただ頭を動かすだけなのに「笑っている」というのがわかる
この効果音と仕組み。

ちょっとした工夫次第でいろんな表現ができるってことを
感じさせてくれますね。





さて、そんな「SPY VS SPY」の妙味。
それは「上下に分割された画面構成」
そう、常に自分と相手が見られるわけです。

つまり、対戦で一番のネックになる「罠」を
どこにどんなふうにしかけたのかがわかる、ということ。


ゲームをプレイしていると、
気がつくと「自分のこと」ばかり見てしまいます。
でも、こうした「対戦」するゲームにおいて
大切なことは「相手がどんな動きをしたのか」を
きちんと把握した上で行動する、ということ。


現実の世界においても、
「自分のこと」だけに目を向けていては一歩足りない事が多い。
人がどのように動いているのか、ということを見て、
それを研究し、学ぶことによって、自分が次何をしていいのか
といったことを知ることができる。





このゲームのように、「相手」の動向がしっかりみられるのであれば
それを把握しないというのは「損」です。
目の前の自分のことはもちろん大切だけれども、
それ以外の部分として、他の人の動きや、
目の前にある自分のことばかりではなく、ほかにも目を向けること
そうしたことの大切さに気がつけます。


特に、自分が「これえしなくちゃ」「あれしなくちゃ」
とやらなきゃいけないことに追われている時ほど、
「他の動き」というものにも目を向けておこうという
そんな意識を持てるようになったのは、このゲームのおかげです。


ということで今回は、
「SPY VS SPY」から学ぶ 「他にも目を向けることの大切さ」でした。





ちなみに、こんな動画を発見
<SPY VS SPY アニメ発見>
(貼り付けできないので、URLにて)
http://www.youtube.com/watch?v=8dNxK_wslqo

ゲームをプレイしたことがある人ならば
思わず「にやり」としてしまうアニメなので、
ぜひとも見てくださいませ。  


Posted by くみちょう at 18:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月19日

「半熟英雄」から学ぶ 戦略と戦術

「半熟英雄」から学ぶ 戦略と戦術



「半熟英雄」とは、
スクウェア(現スクウェア・エニックス)が出した、
戦略シュミレーションゲームです。

各地に城があり、それを攻め取っていく、
というゲームなのですが・・・



出てくるキャラクターがおもしろい♪
まずは将軍役として登場するのがすべて「ギリシャ神話」の神様たち
自分のところの部下として、はじめにいるのが
「ゼウス」と「ヴィーナス」
すぐ横にいる城には「プロメテウス」とかいたり、
「アポロン」とか「ポセイドン」とかもいるわけです。



そういった、神話とかが好きな私とかは、
好きな神様を集めるだけでも楽しみになります。

闘いの際には、そうした「将軍」と
部下4人が戦うわけです。
それも、単なる運任せではなく、
「ボタンの連打」によって、
ゲージを消費しながら強くなったりします。

かといって、調子に乗って連打しすぎると、
今度はゲージを使い切ってしまい、
結果的にぼこぼこにされたりするわけです。

闘いながら、やられた兵士は、
「ころっ」と画面から転がり落ちていく姿が
演出含めておもしろいなあと。

また、戦略シュミレーションゲームであれば
「軍師」による「陣形」だとか「計略」というのが
あると思います。
このゲームには「きりふだ」なるものがあり、
「しょうにん」から買えるのですが、
これまた、ユニークでおもしろいんです。



「フリニゲル」とか「フリノテキ」とか
使ってみると、敵のふりして近寄ってきたところを攻撃する、
逃げたふりして、敵の裏から出てきて攻撃する、といった
動作一つ一つがコミカルでおもしろいんですよね。

そういったものをうまく使いこなしながら
相手の城を落としていき、全部の城を攻略するとクリアです。


で、それ以外に、このゲームの特徴である
もっとも魅力的なのが、
「エッグモンスター」



「たまご」というのを持っている将軍は、
そのたまごに「おいのり」することで、
戦闘中に「自分の代わりに戦ってもらう」
ということができるのです。

たまごのまわりで不思議なおどりを踊り、
そのあとに、割れたたまごの中から
「エッグモンスター」というモンスターが出てきます。



このモードになると、
よくある「RPG」のようになります。
コマンド選択方式の戦闘シーンです。


こいつらが、強いのから弱いのまで、
そして「愛嬌」のあるやつらが多いんですよね。

ちなみに、使うたびに弱いモンスターになり、
最後は「エッグマン」という、最弱モンスターになります。



また、こいつらを強化する方法もあるのですが、
それが、人間界とはまったく関係のない、
「モンスターの城」があり、それを攻略することで、
モンスターから「祈祷」をしてもらうことができるようになります。
それによって、段階を追って強くなるのですが、
このモンスターの城が、すごく強いので、
そもそもこいつらに勝てるくらいなら、
敵の城を落とすだろう、ということで(^^;)


まあ、でも一度は最強エッグモンスターである
「ハデス」の姿は見ておかないと、とは思いますね。


さあ、そんな楽しい、
コミカルな戦略シュミレーションゲーム「半熟英雄」
このゲームの肝は、いったいどこにあるのでしょうか。

それは、ほかの戦略シュミレーション系の
ゲームをやっていてもつくづく思うところですが、
この「半熟英雄」ほど、その大事さが
もろにでるゲームも少なくありません。

その肝とは「いかに安全地帯をつくりながらゲームを進めるか」ということ。



その理由は、「敵を倒しても仲間にはならない」ため。

「毎月」という「ターン」があり、その「月ごと」に
「給料」を支払ったり、「城を成長」させたり、
買い物(お助けアイテム)をしたりと
いろいろとしていくのですが、



その時に起こる「ランダムイベント」で、
「地震発生」「ブス来襲」「豊作」「凶作」などの
これまた魅力的なイベントがおこるのですが、
その中の一つである「将軍士官」というイベントでのみ、
「部下」が増えるのです。



「部下」がいない城は、
敵が来た瞬間に相手のモノになってしまうので、
必ず「守備用の将軍」が必要になるわけですが、
はじめにいる「3人」だけでは、
どうしても「3つ」まっでしか城が持てないわけです。



まあ、それで守りを固めつつ、
「将軍士官」のイベントが起こるまで待つ、
というのも一つですが、
きりがなかったり、時間ばかりが経過したり、
また収入が少ない場合には「ジリ貧」にもなりかねません。

そのため、「少ない将軍をどう配置するか」
ということが、このゲームの最大のポイントになります。

つまり、敵に攻め込まれないように、
安全地帯をつくりながら、どう攻略していくのか、
という「戦略」をきちんと立てて攻略することが
大切になってくるのです。

もちろん、その上で、「エッグモンスター」の使い方や、
「きりふだ」の使い方、敵との接触の仕方などの
「戦術」も考える必要があるのですが、

「戦術」を工夫することで「戦略的劣勢」を覆せるほど、
このゲームは甘くありません。

なので、きちんと戦略的優位に立てるような
そんなやり方で進めていかなくてはいけません。



なんて、言葉としては「戦略」と「戦術」なんて、
子供時代には知りもしなかった言葉ですが、
感覚として、それをとらえることができていたのは
非常に大きな学びだったなと、そう思います。

戦略眼により、大局的にものをみながら、
戦術眼により、局地的勝利をものにする

その両者を組み合わせることでこそ、
ゲーム攻略ができる。



それを、楽しみながらもできた「半熟英雄」



はっきりいって、私は超名作だと思っています。
いま、ふたたびプレイしてみて
「やっぱりおもしろいなあ」と、そう思います。

ゲームバランスやシステムまわりも
「さすがだな」と思うつくりをしています。

いまプレイしても、最新のゲームと遜色ない、
そんなゲームです。

ぜひとも、みなさま、プレイしてみてくださいませ。


以上、「半熟英雄」から学ぶ 「戦略と戦術」でした。   


Posted by くみちょう at 21:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月18日

「ウルティマ恐怖のエクソダス」から学ぶ はじまりを大切にする

「ウルティマ 恐怖のエクソダス」から学ぶ
はじめのとっかかりだけがんばろう

はい。改めましてこんばんわ。
ゲームに挑戦する、ということで、昨日から
「ウルティマ 恐怖のエクソダス」
に挑戦をし続けているわけです。




※こうして画面を見ていると
ドラクエとあんまり違わないように見えるでしょ?(笑)


で、ある程度メドが立ちまして、
これからクリアに向けていけるぞっ!!!
って、状態になったところで、
今夜の記事を書こうと思いまして。




※ ちなみにこれ、ダンジョンの中ではなく、街の中なんです。


いくつか学びはありましたが、
まずはこの「ウルティマ」になんで小学生の頃の
自分がつまずいたのかをよーく考えてみました。

・・・やっぱり、「自由度の高さ」が一番の理由ですかね。



。。。えっ?「システム回りのめんどくささ」とかじゃないのって?
実は、システム回りだとかって、「子供心」には
「やるしかない」という感覚だったため、
そんなの関係なく、やり続けたもんなんです。

だって、一本5000円とかしたゲームソフトを、
「わからないから」といって投げ出すなんて、
そんなこともったいなくてできなかったわけですよ!!

だから、一つ一つを丁寧にクリアしていったわけです。

そんな当時の自分たちですらクリアできなかったのは、
やっぱり理由があるわけで。


その最大の理由が「自由度の高さ」

このゲーム、小学生の頃の自分たちにとって
「衝撃」だったのを今でもよく覚えています。
それは、

○「王様」に襲い掛かることができる。



○「街の中の宝物」を盗むことができる。





といった、ほかではありえないことができること。

ドラクエの王様とか、
「魔王を倒してきてくれ」とかお願いをしておいて、
「100G」と、「どうのつるぎ」と「たびびとのふく」
しかくれないのとかおかしくない!?
もっとよこせ!!とか思ったことありませんか?





他にも、道具屋のおじちゃんの横においてある
「宝箱」を開けたいとか
そんな欲望にかられたことはありませんか。

ドラクエでは、タンスの中や壺の中、
それどころか宝箱ですら自由にあけていいという、
世間でいう「勇者ルール」が適用されておりますが、

この世界、そうはいきません。

悪いことして「見つかる」と「衛兵」に迫られます。


そして、衛兵が尋常じゃなく強いので、
つかまって殺されるわけですが(^^;

ちなみに、最強キャラは「王様」だそうで。
ケンカ売ると余裕で殺されます(笑)


そんな「ウルティマ」の世界。
本当になんでもしていい。

しかも、ドラクエと違って、
「次の町」に行くのに、一つのクエストがあるとかそんなのありません。
普通に、ゲームはじめて早々に隣町どころか、
マップ上にあるいろんな町に行けてしまいます。

「えっ、いいの?」
いいんです。
なぜなら、このゲーム、はじめの城の横にある街で、
最強クラスの武器や防具がすでに「売って」ます。

ちなみに、まちの人たちに話しかけても、
別にストーリーが進むわけでもなんでもありません。

本気で、自分自身が情報収集を行い、
「何をすればいいのか」
を見つけていかなくてはいけないのです。


ここで、ドラクエだったら、
「とりあえず敵を倒しまくって、レベルあげておこう」
とかすることはあるわけですが、そうもいきません。

モンスターを倒すと、レベルが上がるなんてことはなく、
経験値を貯めた上で、王様に話しかけて
「特別な力」で「成長」させて「もらう」しかないんです。
それによってレベルがあがるのですが、それも、「HP」しか上昇しない。





そのくせ、敵は強くなります。能力アップです。

だから、このゲームをクリアするためには、
「あえて自分たちもレベルはあげずに、
着実に弱い敵を繰り返して倒す中で、
お金をひたすらに貯める、ということを繰り返して、
装備を整えることで強くなるしかない」んです。


・・・まあ、後半に行くと、
「お金」で能力を高めることができるらしいので、
結果的には、「装備」を整えるのと同じ作業になるわけですが(^^;)


で、そんなことも知らずに、
他のゲームと同じ感覚でレベル上げをすることで、
「敵ばかり強くなり、自分たちは弱いまま」
→「敵は倒せない」→「お金も稼げない」→
「謎解きの際に敵にやられる」→「詰み」というパターンに。


・・・って、このシステム自体も、
やっぱり一つの問題なのか、とも思いますが、
まあ、これはこれで、この世界の話が理解できると
納得する部分もあるわけです。


でも、何よりも一番どうにもならないのは、

「行けるところが自由にありすぎるがため、
はじめに何をどうしていいのかわからない」

ということが、一番の問題点になってきます。


ドラクエやファイナルファンタジーなどは、
感情移入させるためもあり、いろんな試行錯誤はするものの、
大局的には一本道であり、プレイしていて詰まるところはありません。
局地的に詰まることはあっても、その場所さえ丁寧に調べまくるか、
レベルを上げて、ボスモンスターを倒せば、先にすすめます。

だけど、この「ウルティマ」にはそれがありません。
もう、なにがなにやらさっぱりなのです。


そう、人は「できることが増えるほど混乱する」んですよね。
むしろ、ある程度「できること」が絞られている方が
自分はその中で「自由に」選択できる。

なんでもかんでも、すべてが「自由」すぎることで、
実は「自由」どころかなにもなくなってしまうのです。


でも、そんなウルティマも、まったくわけがわからない、
というわけではありません。

ある程度、序盤をなんとかできれば、
その後は「自由」と言いつつも、やるべきことが見えて
きます。
そう、一番タイヘンなのは
「はじまり」の時、「とっかかり」の時なのです。


・・・これ、まさに現実の世界に当てはまりますよね。

世の中、「何をしてもいい」というのがこの現実世界です。

「本当に何でも自由にしていい」
そう言われると、悩んでしまいませんか。
でも、それなりに自分を積み上げてくると
「これをしよう」とか「あれをしよう」というものが出てくる。

要は、「はじまりの部分」を、「とっかかり」を
どんな形でつくりあげるのか、ということが大切
なのです。

そこを乗り切れば、あとは自ずと「流れ」が出来る。

「常にがんばる」というのは、もちろんすばらしいことだけれども、
それでは疲れてしまうし、どこかで自分がわからなくなることもある。

でも、そんな時には「はじまり」を、
「とっかかり」をがんばってみよう。

そうすれば、ゲーム攻略の道が、
世の中の問題解決の糸口が必ず見つかるのだから。



ということで、本日は
「ウルティマ 恐怖のエクソダス」から学ぶ
「はじまりを大切にする」でした。


てなわけで、流れがつくれたので、
あとはクリアまで続けてがんばりたいと思います。
  


Posted by くみちょう at 20:30Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月16日

「アイスクライマー」から学ぶ 計画を立てて集中すること

「アイスクライマー」から学ぶ 計画を立てて集中すること





こういう寒い時期になってくると
テレビの画面とかでも
「つらら」が出てきたりしますが、





アイスクライマーが真っ先に脳内に浮かぶわけです。

「あっ、当たったら自分が雪の結晶になっちゃうな」と(笑)

さて、そんな「アイスクライマー」

任天堂の初期の名作アクションゲームです。
主人公は、雪山を登山する・・・のか?
それとも脱出するのかがわかりませんが、
とにかく、一番下からはじまり、順番に山を登っていき、
山頂についたら、そこを飛んでいるコンドルにしがみつくことで、
雪山から無事に脱出する、というゲームです。


まあ、シナリオうんぬんよりは、
手軽に楽しめるアクションゲームになっています。

途中途中、上るのを妨害してくる
「オットセイ」や「鳥」
さわると凍ってしまう「つらら」などを回避したり、
ハンマーで倒しながら進んでいくわけです。

で、そんな「アイスクライマー」
プレイしていていつもついついやっちゃうこと。
それは「適当なプレイ」





はじめのうちはそれでもまあいいんです。クリアできるし。
そのうち、難しくなってくると
「手当たり次第」ではクリアが難しくなります。





敵の攻撃も厳しくなってくるし、
「オットセイ」がどんどんと壊したブロックを直していくので、
適当にやっているといつまでたっても進めなくなります。

「この場所」と決めたところのブロックを崩して、
そこを徹底的に狙って、そこから上っていかないといけません。

かわいいキャラクターや
なごむ音楽にまどわされて、
ついつい気楽にプレイしてしまう。

まあ、もちろんそうした気楽なプレイもまた一つですが・・・

クリアするためを考えたら、
きちんと計画を立てていかないといけない。





そんな「計画を立ててプレイすること」を
はじめに学んだのは、この「アイスクライマー」からでした。

計画を立ててプレイしないと
文字通り「泣き」をみます。





ということで、「アイスクライマー」から学ぶ
「計画を立てて集中すること」でした。





ちなみに・・・
初期の頃の任天堂の名作ゲームたちの
例にもれず、やっぱり二人同時がアツい!!!
で、必ずどちらかが「置いてけぼり」とかになり
ケンカになるわけで(笑)





これもまた、アイスクライマーをやっている限りにおいて、
楽しみというか、醍醐味のひとつだなと思うわけです。

やっぱりやりはじめると止まらなくなりますね。
ちょっとのつもりが、思わず私も4面までやってしまいました(笑)

アイスクライマー、適当にプレイしている動画


まあ、このくらい気楽なプレイをしているうちは
別に喧嘩にも何にもならないんでいいですけどね(^^)  


Posted by くみちょう at 21:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月15日

「マッピー」から学ぶ 発想の転換の大切さ

「マッピー」から学ぶ 発想の転換の大切さ





マッピーやりはじめると
ついつい気がつくと数時間が経過してしまいます。

ということで、ネタを書くはずが
気がつけば時間ばかりが過ぎて、ネタがかけない(笑)


ホント、マッピーは超名作だなと思うわけです。

で、その名作の名作たるゆえんは、

「ノリのいい音楽」
「魅力的なキャラクター」
「操作性のよさ」
「単純明快な目的」
「緊張と緩和」

もうこれだけで基本的なところは
すべて整っているわけです。


「ノリのいい音楽」
もうね。音楽聴いてるだけで満足してきてしまう、
そんな魅力的な音楽の連続です。
普通のステージでの音楽に、
プレイヤーが一機増えた時の効果音。
超音波が飛んでいく時の音。
トランポリンに乗った時の効果音。
そしてクリアした時の音。
ボーナスステージの音楽。
すべてが、想像しただけで脳内再生されてきます。
もう、この曲聴いているだけでおなか一杯になるくらい。
そのくらいに魅惑の音楽なわけです。



「魅力的なキャラクター」
本来敵であるハズの「にゃーむこ」(ボス猫)が
かわいいというか、自由気ままなわけで。
他の子猫たちは一生懸命マッピーを追いかけまわしてくるのに、
ボスであるはずの「にゃーむこ」は、
本当に自由気ままに動き回るわけです。

で、商品の裏に隠れたりして、
その時にちょうど回収すると、
「1000」なんてプラカードを手に持ったりして。





ところが、その「かわいさ」「自由気まま」な様が
実は要所要所で困ったことになるわけです。
普通なら、ひたすら追いかけてくるだけだから
それを手玉に取ることもできるのですが、

・・・結果的に先回りになっている!!!
とか、「来ないよね」ってところにいたりして、
「してやられたー!!!」ってことによくなるんです。

「にくたらしい!!!」
と思うのですが、やっぱりかわいくてどこか憎めない。

そんな敵キャラからはじまってコミカルで魅力的な
キャラクターで埋め尽くされています。


「操作性のよさ」
自分が思った通りに操作できるのを感じます。
このゲームのすごいところの一つですが、
「上下」を使いません。
本当に、左右で動かして、上下はトランポリンのみ。
あとは扉の開け閉めのためにAボタンを押すだけ。
たった三つの操作だけなのに、こんなにおもしろいゲームになっている。
操作性のよさと含めて、この単純明快さはすごいですね。

「単純明快な目的」
操作性と相まって、単純明快なもう一つ。
「目的」です。
「にゃーむこ」たちは「盗賊」で、
その盗んだ商品を取り戻そうと、
警察であるねずみの「マッピー」が追いかけるという。
だけど、ねことねずみだから、単純に追いかけたら
「ねこ」の方が強い。だから、
「相手につかまらないように追いかける」という、
そんな構図をつくることができているんですよね。



目的は、単純に「商品を取り戻す」だけなのに、
追いかけられるべき敵が、自分を追いかけてくるという、
そんなおもしろい話になっているところがまたすごいですよね。

「緊張と緩和」
ステージ3になると「ボーナスステージ」があります。
風船をとっていくだけ、というステージで。
取り損ねても問題はないのですが、
それをとればとるほど得点が高くなり、
パーフェクト達成でさらにボーナスがもらえる。
そんなボーナスステージがあることで、
途中途中が気持ち的に「緩和」されるんですよね。





「緊張」と「緩和」
大切なことだなって思います。


そして、そこにあるのが
「極めがいのある要素」
単純明快なルールに操作性。
だけど、得点を高くするためには、

「超音波でまとめて敵を倒す」
「同じ商品をセットでとることで得点が倍に」
「セットでとり続けることで×2 ×3 ×4となっていく」





こんなシステムのため、思わずとる順番を考えてしまい、
それがために、単純明快な追いかけっことはならず、
一面から、上手い人でも楽しめる仕組みづくりが行われています。


もうほんと、ゲームやっていたらまずはこの
マッピーをやることで、仕組みづくりを学べるんじゃないかと。
このおもしろさをきちんと把握した上で、
自分たちもこうしたおもしろさの基本を学び、
それができてこそ、その先を目指すべきなのではないか。

そんなことを感じる、そんな名作ゲームです。

これだけでもものすごい学びになっているなと思いますが、

実はマッピーをやっていて一番学んだなって思うこと、
それは「常識を破る」という発想なんですよね。





それも、ボーナスステージで学びました。
それはどういうことか。
ステージ3が、ボーナスステージになっております。

で、上記で説明しました通り、
ここでは、規定時間内にすべての風船を取る、
というのが高得点なのですが、
ふつうにとっていくと、タイムオーバーになるわけです。

「おかしいな、最短でとっていったのに・・・」

何度やっても、最後まで風船を取りきれない。
で、おかしいなあと思い続けていた最中。

ある日、プレイ中に親が話しかけてきました。
で、ついストップをせずに「トランポリン」に乗り続けて、
これ、無限に乗れなくて、何度か乗ると切れるんですよね。
はじめは、それで
「ちょっと、話しかけるからやられちゃったじゃん!!!」
と親に文句をつけようと思ったのですが、
ふと画面を見ると、「トランポリンの下にある風船」が
「回り道をするよりも早く取得できた」わけです。





それ見た瞬間に、「これだっ!!!」って。
そう、普通にプレイをしていると、

「トランポリンを破く」=「ミス」
というのが自分の考え方としてできあがってしまうのです。

だから、ボーナスステージとはいえ、
「トランポリンは切らない」というのが「当たり前」
として考え方の中に刷り込まれてしまうんですよね。

でも、ボーナスステージをプレイしていて、
偶然ですが、親の介入によって破けてしまったトランポリン。
これによって「あっ、トランポリンも破いてもいいんだ!!!」
という発想の転換ができるようになったんです。


はっきりいって、これは衝撃的でしたね。
まさか、そんな方法があるとは夢にも思いませんでした。


そう、自分の中に、一度定着してしまった考え方。
それを破ることのむずかしさを学ぶと同時に、
「それを破ることの大切さ」も同時に学べました。

マッピーは、超名作です。
さらにこんなに大切なことが学べるなんて・・・

改めて、「さすがだな」って思いました。


以上「マッピー」から学ぶ 発想の転換の大切さでした。


ちなみに、下記動画が、3ステージまでですが、
基本を網羅した動きとして、非常に良いお手本になりますので、
ご覧いただいて、参考にするのがいいなと思います。

「マッピー」
  


Posted by くみちょう at 10:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月14日

「エレベーターアクション」から学ぶ 使いこなすことの意味

「エレベータアクション」から学ぶ 使いこなすことの意味





「エレベーターアクション」
主人公であるスパイになって、
敵のビルの中にある「機密資料」を奪い、
地下にある駐車場の車に乗って脱出する、
というゲームです。

敵がわかりやすくて、
よくある「ギャング」の姿。
黒づくめスーツに、黒の帽子。
むやみやたらに銃を乱射する姿。





それに対して主人公。
茶色系の服装で、軽いファッションって感じです。
うーん、何を意識しているんだろうか。
ジェームスボンドとか、そういった類かなぁ。


なにはともあれ、スタートすると、
ビルの屋上にワイヤーをとばし、
それを伝っておりてきます。





まるでアクション映画の一場面です。
・・・やっぱりハイウッド映画あたりの
どこかのキャラからとったんだろうな。


で、その演出のあと、
ビルの中に侵入したところから、
プレイが開始されます。


「エレベーターアクション」
の名前の通り、エレベーターを自在に操り、
下へ下へと降りていきます。





途中にある「赤い扉」の中にあるのが「機密文書」
それを集めて、行くのですが・・・

結構、扉の開け閉めが「ロス」になりまして。
その間に、敵に囲まれたりして、タイヘンなわけです。


で、初めてプレイする時、
とうぜん「説明書」なんか読まないでプレイします。

とにかく先に進めばいいやと思い、
「よしっ!脱出!!」
とか思った矢先に出てくる
「!!」





で、「赤い扉」のところに戻されます。





そう、「赤い扉」の中にある「機密文書」を
すべて集めてこないとダメなわけです。

そりゃ、そうですよね。
「機密文書」を盗むために
「スパイ」として潜入してきているのに、
それを取らずに脱出してきたら
何のために侵入したのかわかりません。


すべての「赤い扉」に入って、
「機密文書」を集めた上で、
最後「車」に乗って脱出してクリア!!






なんですが・・・

正直、結構難しいんです。
何がって?
妙に敵が「銃を乱射」してくるモードになると、
まったく隙がない時があります。

「進めば絶対にやられる!!」

でも、進まなきゃクリアはできない。

その、最後の最後、このゲームのポイントとなるのは
そう、タイトルの通り「エレベーター」の使い方。
自分がエレベーターに乗ると、自在に上下動かせるようになります。

これで、隣のエレベーターの床の部分がちょうど
自分の真横にくるようにしたりすると、
敵の撃ってきた銃弾を避けられたりするわけです。





また、「赤い扉に入る」という動作も
「赤い扉から出る」という動作も自分でタイミングを計れます。

むやみやたらと「ただ出入りするだけ」ではなく、
相手が銃を撃っている時には出ないで、
様子を見てから出る、等考えて行動することが求められます。

それまでは、意識もせずに、
とにかく下に向かって進んでいくだけで
クリアできるのですが、
後半、そうした形で「自在に動かせる」ことを
利用しないと、一面からして、クリアは厳しくなります。


さて、そんなエレベーターアクションから学ぶこと、
それはまさに上記の通りで
「使いこなすことの意味」です。

ただ「エレベーターに乗る」
ただ「ドアを開ける・閉める」
ということだけではない、ということ。

そこに「タイミングよくドアを開ける」とか
「エレベーターに乗る位置や動かし方」など
工夫のしがいがたくさんある。

なのに、それをしないでやられてしまうことの
なんと多いことか。

で、エレベーターアクションでは
そういったちょっとしたところまで含めて、
使えるものは最大限使いこなしていかなくてはクリアできません。





では、ふと現実を見てみましょう。

自分の身の回りにあるもの。
たいていは「自分が好きなように使っていいもの」のハズ。
でも、それを本当に使いこなしているのか、と言われたら・・・


たとえば、私が持っている「PSP」
ゲーム機として使うというのはもちろんのこと。
私の場合、仕事先に動画を紹介したりとか、
写真を見てもらう、などの際に、
パソコンを出すよりもはるかに早く取り出せて
相手にプレゼンをするのに使えます。

しかも、毎日必ず持ち歩いているので、
どんな時でも使えます。

常に持ち歩くのだから、使いこなさないと損です。

そうした感覚で、モノを持って、
それを使いこんでいるかというと・・・


ということで、「エレベーターアクション」から学ぶ
「使いこなすことの意味」を理解した上で、
自分自身が現実につかっているものや持っているものを
もう一度見直してみるといいのではないか、と思います。

ぜひやってみてくださいませ。


ちなみに・・・
エレベーターアクションの「TAS」動画。
4面クリアすると、一周して難しくなった状態で最初に戻ります。
その「一周」しているところが見られますが・・・

正直、うますぎて参考にならないくらいに感じられます。

でもやる気になればできるということ。
改めて、自分も「使い込まなきゃな」と思うわけです。

  


Posted by くみちょう at 10:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月13日

「ウィザードリー」から学ぶ 性格の違いを理解する

「ウィザードリー」から学ぶ 性格の違いを理解する





私がこのゲームを買ったのは、たしか小学校の4年生の時。

「ぜん」とか「あく」とか「ちゅうりつ」とか、
キャラクターにそんな「性格」なるものがありまして。

そもそも、「善」や「悪」ってのがなんなのか
よくわかっていない子供の時代。

とりあえず、「悪」は悪い、ということだけはわかるので、
全員「善」でゲームをスタートします。



・・・うん、「盗賊」は「善」じゃだめ?
それじゃ「中立」だな。

ということで、盗賊以外はみんな「善」のパーティです。


さて、そんなこんなでゲームをスタート。

敵と出会えば、基本は倒すのがゲームだと思っていました。
が、ウィザードリーにはこんなことが起こるんです。





「友好的なモンスターがいる」
というメッセージとともに、こんな選択肢が出ます。

「たたかう」
「たちさる」





当初、なんのことやらさっぱりわからなかったわけで。
とりあえず、モンスター相手だから戦うわけです。

その時には、すでに変化が起きていたことに気がつきませんでした。

ことが起きたのは、そのメンバーが街に戻ったあと。
一度セーブして、ゲームを終了させて。

ふたたび、ゲームを開始しようとしたら。。。

「あれっ?パーティーが組めない!?」

いままで普通にパーティーを組んでいたメンバーが、
なぜだか、2人ずつとかに分かれてしまいます。

どうやっても、ある特定の仲間を入れると
他の仲間が入れられない状態に。


「なんだこりゃー!?壊れた!!」

いろいろと試行錯誤するも、うまくいかず。
仕方なく、ゲーム序盤ということもあり、
キャラクターをつくりなおして、プレイ再開。
「うん、作り直したらうまくいった。
やっぱりなにかの【バグ】かなんかだな」

そう思いながらプレイ再開。
しかし、やはりまた、ある時からパーティが組めなくなります。

「なんじゃ、こりゃ!?
これじゃゲームにならないよ!!!」

そう思い、当時買ったゲームショップに持っていきます。
「すいません、これ壊れていると思います。
仲間に入れられなくなるんです。」

おもちゃやの店長さん、いい人だったので、
「そうなんだー、じゃあこっちに新品があるから
これと交換するよ。ごめんね。」

そういって新品と交換してくれました。


で、また再度挑戦するも、
ある程度プレイすると、またしても同じ結果に。

「なんで!? でも、新品に変えてもらったのに同じってことは、
自分のプレイの仕方に何か問題があるんじゃないのか?
ちょっとよく見てみよう」

そう思い、キャラクターのステータスをじっくり見てみると・・・

同じように仲間にできるメンバーは「G」と「N」
「N」と「E」といったマークがついています。

・・・キャラクターをつくった時にいろいろと見たけど、
なにか見落としているところがあるハズ・・・

キャラクターつくる時には、
まずは「名前」を入れて・・・「くみちょう」・・・と
次に「種族」を選んで・・・「にんげん」・・・と
次に「性格」を選んで・・・「あく」・・・と
で、キャラクターの能力を決めて・・・
職業を決めて・・・「そうりょ」・・・と
終了





で、この中のどれかが、「E」とか「G」とかなんだな・・・

・・・「あっ、【E】ってのがあった!!
他にも見ていくと・・・
【Human】ってのは、たしか「人間」って意味だよな。
【Pri】ってのは「priest」で「僧侶」って意味だから・・・
【E】ってのが、この場合の「性格」なんだろうな。

・・・ってことは・・・

「性格」が違うと「パーティーを組めない」ってこと!?


他にも、
このゲームは「初期のパラメーター」で
「就ける職業」が決まるのです。

たとえば、「戦士」にしたいときには、
「ちから」が11以上ないといけないとか、
「僧侶」にしたいときには
「しんこうしん」が11以上ないといけないとか、

そうした求められる「能力」があるんですよね。

で、先ほどのこともあり、「善」でパーティを
つくろうと思ってやってみたら・・・
「やっぱり、盗賊がつくれないよ!!」


・・・そうなんです。

ウィザードリーは、「せいかく」がものすごく重要視されていて、
「せいかく」によって就ける職業も決まってくるのです。

盗賊は、「ちゅうりつ」か「あく」じゃなきゃだめ。
僧侶は、「ちゅうりつ」はなれない。
君主(ロード)は「ぜん」じゃなきゃだめだし、
忍者は「あく」じゃなきゃなれない。



正直、小学生時代の私にとって、ゲームの中とはいえ、
「せいかくの違い」でチームが組めないなんてことが
あるとは思わなかった。

また、なれない職業があるなんてことも、
さっぱりわからなかった。

けれど、これって現実に考えてみると、
「まあ、そうだよな」って思うわけです。

性格が違いすぎるメンバーと一緒に
パーティー組んで冒険に出るなんて、
考えてみたらありえないわけで。


当然、どんな職業か、ということも。
「僧侶」というのは何かしらを「信仰」してなくちゃいけない。
神でも、悪魔でもいいけど、中途半端じゃなれない。

そういったことが、ウィザードリーを通じて
「そうか、そういうものなのか」ということを
学ぶことができました。


「せいかく」が違うことによって、
「適正」も違うし、「一緒に組む」ということも
配慮しなくちゃいけないわけです。

そうしたことを、現実の世界にもあてはめて
考えられるような、そんな基礎をつくってもらえたのが、
この「ウィザードリー」でした。


ということで、「ウィザードリー」から学ぶ
「性格の違いを理解する」でした。





さて、せっかくだからひさしぶりにやりなおしてみるかな。
まずは、キャラクターをつくるとこから・・・
上記のような「ボーナス27」とか出ちゃうと
もうやめられないんですよね!!
(これだけで2時間くらいはやっていそうだな・・・)

本編に入る前に、すでのドハマりするわけで(笑)  


Posted by くみちょう at 15:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月12日

「スペランカー」から学ぶ 落ち着いて行動することの大切さ

「スペランカー」から学ぶ 落ち着いて行動することの大切さ

「スペランカー」





もう言わずもがな。超有名な
「虚弱体質主人公」が「宝を探して冒険に出る」というゲーム。

一説によると「虚弱を治す薬」が
目的のお宝なのではないか、という話がある、
そのくらいに虚弱体質な主人公。
まあ、ひざの高さくらいから落ちたら死ぬという。





そんな虚弱な人間が「宝探しの冒険」
になんて行くなよ!!!

という突っ込みがそこら中から聞こえるわけですが。

でもね。そんなゲームですが、
意外と、内容はまともでして。

綱渡りのように進んでいくところだとか、




落とし穴が隠されているところを進んだり、
※ 隠れてないよ!!という突っ込みはなしで




上から火が噴いている(?)ところをトロッコで進んだり、




おばけが襲って来たり、




噴水のように水が噴きがしているところを
タイミングを計って進んだり、




岩を爆弾で砕いて進んだり、

こうもりが攻撃してくるのを避けて進んだり、

毒ガスが噴出しているところを進んだり、

隠されている財宝を爆弾を使って探したり、




ということで、思ったよりもまともな冒険をしてるわけです。


ステージも、だらだらとしておらず、
定期的に「クリア」になりまして、
残機も一機増えるのです。

きちんとしているんですよね。





で、冒頭のように「虚弱体質」なハズの主人公。
実はそうでもなくて、きちんと「ジャンプ」した場合には、
多少の段差でも平気で着地ができます。

じゃあ、なんでひざ下もないような段差で死ぬのか。

実は「覚悟」なく段差があることで死ぬのです。

そう、人間て、真っ暗闇の中で階段をおりている時、
「最後の一段があるつもりで降りたらなかった」
という時に、身体が「ガクッ」となりますよね。

そう、人間は「意識をしていないともろい」生き物なんです。

それをきちんと反映している。ただそれだけのこと。



さあ、そんな主人公を操るプレイヤーに
いったい何が求められるのか。

実はこれが「スペランカー」から学べた最大のポイント。

「落ち着いて行動する」ということ。

一つ一つの動作を、ついつい「マリオ」のように
「なめらかにかっこよく、流れるようにプレイしよう」
なーんてことをすると、段差で死んだり、
毒ガスでやられたり、コウモリのふん(?)でやられたり
ひもから落ちたりするわけです。


一つ一つのプレイを、集中して、
じっくりとやっていけば、
実は死なずに最後までクリアできます。



実のところ、はじめてクリアした小学生時代。
あのころは、丁寧にプレイしていたので、
何度でも、ノーミスクリアをしていたものでした。

だけど、大人になって「かっこよくクリアしよう」とか
そういった気持ちでプレイすると、「さく」っと死にます。


そう、「スペランカー」をプレイしていて大切なこと。
繰り返しになりますが、
「落ち着いて行動すること」なんです。

普段の何気ない行動においてももちろんですが、
スペランカーの世界のように、
「自分の知らない世界に冒険に出る」
といった「いざ」という時であれば、
常に「落ち着いて行動をする」くらいの気持ちが大切です。

どこかで「だいじょうぶ」と舐めてかかる気持ち
仕事や作業におけるミスや失敗につながります。


こうして、たまに「スペランカー」をプレイすることで
「あー、いまの自分はちょっと焦ってるな」
ということを確認しながら、「落ち着くこと」を意識することで
いまの自分を戒めることができるのです。

それが、すごく役立っています。


ということで、「スぺランカー」から学ぶ、
「落ち着いて行動することの大切さ」でした。





ちなみに、一通りクリアする(ピラミッド? 財宝?の発見)と
二週目がはじまります。

色の変わったこの二周目。
クリアに必要な「鍵」の位置が変わっていたり、
見えないようになっていたりします。





なので、いままでは必要最小限の場所だけいけばよかったものが、
すべての場所を探索していかなくてはいけません。

ということで、実は二周目はものすごく難しくなります。

気になる方は、ぜひともご自身でクリアして、
その様子をプレイする中で感じてもらいたいなと思います。





まあ、それよりもなによりも、
みなさんも、「落ち着いたプレイ」を心がけることで
ぜひとも一週目の「おたから」まではいってもらいたいなと
そう思っています。

やってみてくださいませ☆  


Posted by くみちょう at 22:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月11日

「女神転生」から学ぶ 組み合わせることのおもしろさ

「女神転生」から学ぶ 組み合わせることのおもしろさ





本日は、超名作ダンジョンRPG女神転生です。
もう、いわずもがな、なゲームですね。
むしろ、私のような「ひよっこ」がこのゲームを語ろうとすると
よく知ったみなさまから「非難」を浴びるかもしれない。
そのくらい、熱狂的なファンがいるゲームです。

・・・だけど、「初代女神転生」に関しては
私もなかなかのものだと思っております。

クリア回数も5回以上は、
はじめからやり直してクリアしてますね。

・・・って、その後の「真」等を一切やっていないので、
ファンからは怒られそうな気もしなくはないですが
(あとは2をクリアしたくらいなもの、ですね)

俗にいう「旧約」しかプレイしていないのが私。

・・・って、そのあたりの話を言い出すときりがないので、
本編へと入りましょうか。


「女神転生」
このゲームは、まずはストーリーが秀逸なんですよね。





主人公である「中島」は、「天才プログラマー」なのですが、
「悪魔召喚プログラム」というのをつくります。
だけど、当初の目的と違って、そこで呼び出した悪魔たちは
自分の言うことを聴かずに世界をのっとります。
そこで、「中島」は彼女である「弓子」とともに
責任をとって悪魔を倒して、世界を平和にした・・・

と思ったら、大魔王ルシファーが、
せっかく倒した悪魔たちもよみがえらせて、
ふたたび世界を侵略しようとしてきた。

そこで、ルシファーがいる「飛鳥の大魔宮」へと乗り込んでいく・・・


というストーリーだったと思います。

というか、はじめに呼び出した悪魔である、
「魔王ロキ」を倒す場面が「アニメ」になっているので
それをレンタルで借りてきて(もちろん買ってもいいけど)
見るのがおもしろいかなと思います。


・・・というか、小学生時代の当時、
私のいない間に兄貴が借りてきて見ていて、
帰ってきたら「返却」の時間だったという、
そして一瞬しか見られなくてわけわからなかった
という記憶が・・・(^^;)

まあそれはおいといて。


そんな、子供心に萌える中二病的シチュエーションで
はじまるわけです。
「悪魔召喚プログラム」とかつくりたい!!
と、当時本気で思っていた自分がなつかしい。。。(遠い目)





さて、ゲーム自体は傑作、名作のシリーズ第一弾。
システム回りもよくできていて、さすがだなと思いますね。
当時のファミコンで、悪魔が「アニメーション」(ちょっとだけど)
するのはすごいなと思ったし、
ステータス画面のナカジマとユミコの二人の
顔グラフィックもつくりこまれていてスゴいなと。





そして、ゲームバランスも含めてすばらしいなと。
もっとも、序盤が若干キツイといえばキツイところですが。
(スタート時にユミコの「ちりょく」を高くすることで
はじめに「メディ」(回復魔法)が使えるので、かなり楽になる)

そんなこんなで、プレイをしていくわけです。

3DダンジョンRPGの関係が苦手な人でも、
「マッパー」という魔法を唱えることで、
常時マップが見られるので、初心者でも安心な感じです。





で、このゲームのおもしろいところは、
「主人公」たちも含めて、「神様」や「悪魔」が
たくさん出てくるところ。
みんな、どこかで見たことあるような聴いたことある
「神様」や「悪魔」がいっぱいです。

主人公「ナカジマ」は「イザナギ」の生まれ変わりだし、
その彼女「ユミコ」は「イザナミ」の生まれ変わり。

倒すべき敵は「大魔王ルシファー」
ということで、そうした神話系が大好きな人には
たまらない仕様となっております。





で、このゲームの真骨頂も、まさにその「悪魔」。
敵として出てくる「悪魔」
なんと、このゲームでは「説得して【仲魔】にできる」のです。
これが、これまでのゲームとは一線を画しているところですね。

「敵を仲魔にできる」
ということで、あわよくば、強い敵を仲間にすることで、
「普通なら無理だろう」と思えるようなところでさえも
先にすすめることも可能なのです。

・・・とはいうものの、そこでは
敵とも「交渉」をしなくてはいけないので、
仲間にできるかどうかはわからないのですけれども、ね。

そのかけひきがまたおもしろいわけです。

で、さらにすごいのは、その熱いかけひきで
仲魔にした悪魔たちを「合体」させられるところ。

それが、世に名高い「邪教の館」





この、いかにもあやしい人が、
「悪魔」同士を「合体」させて新しい「悪魔」を
作り出してくれるのです。

これがまたハマるんですよね♪

「こんなのつくれるとは!!」
みたいに、当時はものすごく大騒ぎしていたのを
いまでもよく覚えています。

同じようにハマった友達同士で
「あれとあれ、組み合わせるとすげーぜ!!」
みたいなことをやりあっていましたね。


・・・で、その合体が「一筋縄」ではいかないのです。

普通に考えれば「合体」することで
「強い悪魔」が生まれると思いきや、
「よわっちーやつ」が出てくることがあるわけで・・・





そう、妖精「ドリアード」
(最序盤では結構強い仲魔なんですけどね。)

こいつができるのがもうわけわからない。
どうして「あんなに強いやつ」と「こんなに強いやつ」の
組み合わせなのに、こんなのができるの?と。

まあ、ある意味「はずれ」はみんなこれになるわけですが。

でも、この時の経験がすごく大きな学びになりましたね。


そう、タイトルの通り「組み合わせ」のおもしろさ。

「強い者同士」が結びついたからといって
必ずしも「強いもの」が生まれるわけではないということ。

特に「同じジャンル同士」だと
まず間違いなく「ドリアード」になってしまう、ということ。





いま、大人になってこのことを考えると、
「そうだなー」と納得させられるわけです。

現実の世界でも、「すごい人」と「すごい人」を
掛け合わせたところで、すごいアイデアが生まれるわけではない。

むしろ「別ジャンル」の人同士が結びつくことで、
そして「強いもの」と「弱いもの」が組み合わさることで
おもしろい新しいものが生まれることが多々ある。


気がつけば、最序盤のところをうろうろしながら、
そこの敵を連れてきては、後半の「悪魔」と「合体」
をさせるのを楽しみにしていましたね。

で、ここでこの合体のおもしろさにもう一つあって。

「強すぎる悪魔」が「合体」によってできた場合、

「悪魔が強すぎて、ナカジマの手におえない」ということで、
合体をさせることができない、ということ。





これによって、序盤から合体のみで
仲間を強くしてクリアする、といったことができないように、
ゲームバランスをとっているんですよね。


で、これがまた現実世界とすごくリンクしている。

自分たちの間でも、現実に「ものすごいアイデア」等が
生まれてきたことって、結構あるんですよね。
でも、それを「形にできない」で終わっていることがある。

または、形にしようとしたものの、
自分たちが未熟であるが故に、
「仲たがい」などをはじめてしまい、うまくいかなかったりする。

まさに、「女神転生」での「合体」によって
生まれてくる新しい「悪魔」と同じ。

「自分たちの手におえない」レベルの事業や仕事が
生まれてしまっても、どうにもならない。


いま、こうしたことを理解した上で、
改めて自分の過去を振り返ってみると、
「あの時、自分とその周辺の人間がそれ相応のレベルであれば
あの時生まれたビジネスをモノにできたのではないか」
ということが、いくつか自分の中でも想像できます。


逆に、今自分の現状で考えてみた時に、
「邪教の館」として、「あれとこれを組み合わせたら・・・」
というのを考えていくと、非常におもしろいビジネスなり
アイデアなりが生まれてくるなと、つくづくそう思います。





ということで、「女神転生」というゲームにおける
「邪教の館」の「合体」システムから学んだこと。

「組み合わせることのおもしろさ」

これからどんどんと活かしていきたいなと思います。



以上、「女神転生」から学ぶ 「組み合わせることのおもしろさ」でした。





PS.ちなみに私は、「ゲンマ クーフーリン」「ゲンマ ハヌマーン」
の二体の悪魔が大好きでして。必ずつくって仲間にしていました。
彼らがつくれると「よっしゃ!!おれ強くなったぜ!!」
という自信と、一つのめどがつくんですよね。  


Posted by くみちょう at 20:00Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学

2012年01月10日

「シムアース」で学ぶ 「タイムスケール」でとらえる成長

「シムアース」で学ぶ 「タイムスケール」でとらえる成長





最近、私自身、大きな成長を遂げていると実感している。
その一つに「タイムスケール」が変わったということが言える。

「タイムスケール」とは、自分の行動単位が「日単位」なのか、
「時間単位」なのか、「秒単位」なのかということを示す。

これまでは「今月中にこれを仕上げておけばいい」とか、
早くても「今週中に」ということが多かった。
しかし、いまの自分にとっては
「この時間まではこっちで、次の時間はこっちで・・」
という形に変化している。

私の中で、「週単位」だったものが
「日単位」「時間単位」での活動になってきたのだ。
これはおそらく「時間を大事にする」
ことにつながっているのではと思います。

自分の成長が進めば進むほど、
「タイムスケール」は短くなっていく。



さて、そんな「タイムスケール」という観点について、
実は私は私は中学生の頃にやりまくった
「シムアース」から学びました。





人類・生命の進化は、時間の進化と言える。
地球の誕生から、10億年という年月を経過して最初の生命が誕生した。
そこから、次の進化を行うための時間はどんどんと短くなっていく。
恐竜が登場したのは2億3000万年前、
絶滅したのは6500万年前、
霊長類であるサル・オランウータンの登場が2500万年前、
それが木から下り、
人類のはじまりと言われるアウストラロピテクスの誕生は500万年前、

※ 最近はアウストラロピテクスよりも
古い人類の祖先が見つかったそうですが、
まあそういう話は今回はしないことにしておきます。

原人登場が150万年前、
ネアンデルタール人が10万年前、
そして人類の直接の祖先にあたるとされる
クロマニョン人が約3万年前。





次の進化に必要とされる時間が
どんどん短くなっていっているんですよね。


こうした「進化」が進めば進むほど、
加速度的に「進化が進むようになる」ことを指して
「タイムスケール」と言います。

よく言われている「産業革命」以前と以後で、
「文化」「技術」の発達は計り知れないほどの
速度の違いになったことは、
みなさんも認識しやすい事例だと思います。





人類は時間を手に入れることで進化しているのではないかと思う。
新幹線や飛行機などの乗り物は、短時間で移動できる手段である。
ある意味、時間を超越しているのではないかと。

そうした感覚を「人類」だとかの進化のレベルで
とらえるだけではなく、
「自分」という個人に置き換えてみても
また同じように説明ができるなと。

それが冒頭で話をした「タイムスケール」による
自分自身の成長なのです。





「シムアース」というゲームは、
「惑星」を成長させるゲームです。

地球が誕生したころを想像してもらい、
火山活動が多く、灼熱の惑星だったところから、
だんだんと冷えてきて、雨が降り、海ができ、
海の中に単細胞生物が生まれ、
光合成により酸素が大気中にでき、
そこから動物が生まれ、
陸上生物に進化し、
文明が生まれ、それが発展していく。

最後は、自分の生まれ持った惑星から、
旅立つところまで文明が成長すればクリア。


それを、ゲームとしてプレイしていくのですが。
中学生時代の自分は、本当に辞書を片手に
調べ調べ、クリアしていったものでした。

「地殻って何?」
「大気が窒素が多いとどうなるの?」
「雨が降らないけど、どうしたらいいの?」
「寒冷化しているけど、暖めるには?」
「生物が進化しないけど、どうしたらいいの?」
「突然変異って何?」

などなど、本当に一つ一つのことを
調べていきながらじょじょにじょじょに
クリアしていったものです。

で、ある程度クリアできるようになった時に、
ふと「タイムスケール」というのについて
なんとなくながら、理解ができるようになっていました。

そうか、地球誕生から、海ができるまでの期間は、
またとてつもなく長い時間がかかるわけで・・・
それを、いまの人類の感覚で待っていたら。。。
って、「待つ」どころの騒ぎじゃないな(^^;
なんてことに気がつくわけです。

でも、そこはそれぞれが成長するためには、
必要な「時間感覚」なんですよね。

地球が冷えるために必要な時間は、
たったひとつの変化かもしれないけれども、
その変化のためには10億年や20億年といった時間が必要。

そうした「変化するために必要な時間」こそが、
「タイムスケール」というもの。


それって、惑星だろうが一個人であろうが、
成長したり変化したりする際には同じだな、と。

いまの自分がどのくらい成長しているのか、
を見るためには「タイムスケールの変化」を見ればいい。

そして、人の成長を見守るためには、
その人の「タイムスケール」に合わせて
「時間」をとって待つ必要がある。

そういう視点を身につけさせてもらえました。

すっごく大切な視点だと思います。
ちょっととっつきにくいシミュレーションゲームではありますが、
「シムアース」
機会があったらプレイしてみてくださいませ。


「シムアース」から学ぶ 「タイムスケール」でとらえる成長 でした。  


Posted by くみちょう at 12:30Comments(0)ゲームで学ぶ人生哲学